太子山聖徳皇院上宮寺
徳川家康を苦しめた三河一向一揆は家康の家臣の菅沼定顕が守護不入を認められていた上宮寺から糧米を強制的に徴収しようとしたことをきっかけに起こりました。
上宮寺は当時一向宗の三河三力寺と呼ばれた勝鬘寺・本証寺とともに一揆側の拠点となり家康に対抗しました。この戦いは、上宮寺将、矢田作十郎が敗れたことにより、家康の一方的勝利に終わります。
僧徒たちは追放され寺はことごとくこわされましたが、後に芳春院妙西尼(家康の叔母)の熱心な願いにより上宮寺の復興は許されました。
1988年8月、約220年前に建てられた本堂や庫裏などが全焼しましたが、1996年に銅板屋根の現代的造りで再建されました。
所在地:岡崎市上佐々木町梅ノ木36 交通:JR西岡崎駅より徒歩5分
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